また叱られても知らんぞ
ダッテフカフカダシ
また叱られても知らんぞ
ダッテフカフカダシ
ミュージアム内の展示内容に特段変わりはありません。
去年は500枚近い撮影枚数になりました…。直後のクリスマスに嫁サンからピットロード大和withエッチングをもらいましたが、溜まりに溜まった空母に駆逐艦を建造しないといけないのでしばらくはHDDの奥底で保管です。
珍しい?爆戦62。
最後まで抗い続けた伊勢。弁慶の仁王立ちの如く、空を睨み付ける主砲。その魂は「いせ」に受け継がれてます。
上が妙高、下が高雄。違いがよくわかります。この長女コンビは、終戦を生き残るもシンガポールから帰国することは叶いませんでした…。
戦後70年以上が経ち、今は静かな海です。
最後は「アレイからすこじま」。
間近で海自艦艇が見られます。足元の海には、いい感じに育ったクロダイが。身体を休める海自艦艇は魚達の良い隠れ家になっているようです。
お土産はおなじみ「もみじ饅頭」。あっという間に子供たちの胃袋へwww
大人は日本酒「蒼龍」。広島県は日本酒の産地でもあります。「獺祭」に近い飲み口で女性に受けそう。
11月にはカレーフェスタがあります。それまでに加賀サンが帰国しますように。
大和ミュージアムの前から見る景色が好きで、いつまでも眺めてられる感じなんですが、何か今日は騒がしい…それもそのはず、大島大橋に突撃かました外国船がいたそうです。
この湾は大戦末期、最後の最後までアメリカに抗い続けた艦と英霊が眠る湾です。感謝。
遺志を受け継いだ艦の一人、あぶくまが身体を休めておりました。彼女の母、軽巡阿武隈は我が艦隊の最高錬度だったりします。
そして重巡古鷹はフェリーに姿を変えておりました。名の由来が同じ古鷹山ですしね。
そして今回の目的がコレ。大戦中の姿も凛々しい美熟女ですが、若かりしヤング長門もなかなかの美人さんです。
大和ミュージアムの前には長門の妹、陸奥の一部が展示されてます。主砲のこの迫力。大艦巨砲時代の象徴といえます。同じモノが長門にもあったわけです。
「陸奥と長門は日本の誇り」彼女の存在は日本の心の支え。彼女の功績は戦前戦後。関東大震災の時、最高軍機の最高速でぶっちぎって救援に向かったこと。そして忌まわしきクロスロード作戦。罪無き市民を二度も焼き尽くした核の炎に同じ数だけ耐えてみせたこと。
「長門沈まず」の一報は日本中に伝えられ、打ちひしがれた日本人に勇気を与えたといわれます。「幾万もの英霊が水底を支えているのですよ」元艦長夫人が言ったそうです。よく頑張りました。ありがとう。
艦これ提督的には
ウォー様ことウォースパイトと、
久々に聞いた「余」の一人称でおなじみ、ネルソンに草。クイーンエリザベスでなく、あえてのウォー様。
しかし一番の見物は、ワシ的名誉提督の石坂浩二氏が寄贈した、あの軍艦旗。圧倒されたのと、何か鼻の奥がツンとして涙腺がかなりヤバかったので写真を取り忘れておりました…。涙腺はダメコンが頑張り轟沈せずに済みました…。
毎年企画展を見てますが、今年はとても素晴らしい展示でした。
またしても、天からの声に従い有給休暇を取りまして、向かった先は広島県呉市。毎年恒例の大和ミュージアム詣りであります。今年の企画展は「戦艦長門」。美しさなら大和の上を行く超絶美女。
0730自宅を出発、0955到着。昨年はハヤブサでしたが、今年はV-strom250。排気量・パワーは違いますが、ハヤブサよりはるかに快適!疲労度が違います。
それにしてもデカい。ジャンボ機と同じ位とのこと。今回は「てつのくじら館」から攻めてみました。
海自の施設らしく、掃海部隊の歴史を中心に展示されてます。海自のルーツとも言えます。
そして見たかったのが、この企画展。提督的には胸に来るモノがありました。受け継がれたのは名前だけではありません。艦の歴史、伝統、魂、乗員達の思い。とても素晴らしい展示でした。
そして潜水艦の中へ。
狭い!マジ狭い!何なのさ?っていうくらい狭い。サブマリナーは強靭じゃないと務まりませんね…。
ボランティアの海自OBの方が夜の照明にしてくれました。正に映画で見たUボートの世界。おじさんありがとう。
ちょうどいい時間なので、お昼ご飯を。もちろん海軍カレーであります。
美味しくいただきました。辛さはイマイチでした。
そして、こんな所に娘達の姿。
海自の艦これ愛を感じましたWWW
次回は大和ミュージアム詣りを。おやすみなさい
取りこんだ洗濯物の上なんだけど…